29.2.16

岡崎宿より宮宿へ三十二キロ




出発そうそう城見学。
家康公生誕の地として名高い岡崎城。元は松平家の持ち城だった。再建された天守閣は特筆すべきほどではないがきれい。
都市設計に明るい豊臣家臣田中吉政が城主の時代に、郊外を通っていた東海道を城下町の中心を通るように変更し「岡崎の廿七曲り」が完成したのだそうだ。

現在でも電車や新幹線の停車駅を作ることで街が栄えるの同じように、当時は街道を街の中に引き入れることが発展への大きな足掛かりであったことがうかがえる。

城を出て八丁味噌で有名な八帖町を通り、江戸時代東海一の長橋だった矢作橋を渡る。来迎寺一里塚を過ぎると、三十九番目の池鯉鮒宿に着く。

馬市が立ったことでも有名なこの宿。読み方は「ちりゅう」元々の漢字は現在ここの地名として使われている「知立」であったが、この宿場にある知立神社の池で鯉や鮒がよく捕れたことから江戸時代は「池鯉鮒」と書かれたらしい。粋な遊び心を感じられる。




珍しく道の両側に残る阿野一里塚を通り過ぎ、桶狭間古戦場伝説地を横目に進む。



ほどなくして着いたのが有松。有松絞の生産地。街並みも古風で歩いていて楽しい。



四十番目の鳴海宿を過ぎ、立派な笠寺一里塚を通る。この先にあるのが尾張四観音の一つ笠寺観音。

もうここからは街が開けてきて名古屋の大都会へどんどんと近づく。





そのまま歩を進めようやく熱田神宮のお膝元四十一番目の宮宿へ着いた。
江戸の当時はここからお隣桑名宿まで「七里の渡し」があった。

今夜は名古屋が誇る繁華街栄にて一晩を過ごす。

25.2.16

吉田宿より岡崎宿へ三十一キロ


寝ぼけ眼で朝食をとり外へ出ると昨晩降った雪が残っていた。明日は大寒。日に日に寒さが強まってくる。



豊川にかかる豊橋を渡りずんずん進んで体を暖める。
この豊橋から宮宿(熱田神宮あたり)までは、名鉄名古屋本線に沿うように歩いてゆく。

国府駅を過ぎれば三十五番目の御油宿へとたどり着く。






御油宿といえば御油の松並木。夜になると悪いキツネが旅人をだますなんて話があるところ。昼間はただ美しい松が並ぶ。



この松並木を抜ければすぐに三十六番目の赤坂宿に着く。御油宿と赤坂宿は十六丁(約一,七キロ)しか離れていない。

御油や赤坂吉田がなけりゃなんのよしみで江戸通い

この三つの宿場はこんな歌が残るほど飯盛り女を多く抱え、活気があったそうだ。
今は吉田宿以外、当時の繁栄ぶりは見られない。



寒々しい景色の法蔵寺という寺を横目に進み、古歌に東路の宇治川と詠まれた三十七番目の藤川宿へとやってきた。



歴史国道にも認定された藤川宿。松並木やむらさき麦が有名だそうな。



昔大平川と呼ばれた乙川を渡り、日も傾き始めたころに大平の一里塚を通り三十八番目の岡崎宿へと着いた。
その昔江戸の時分には東海きっての都会であり万事不憫のない繁盛ぶりであったらしい。
今現在も人も店も車も多く栄えている。

今晩はここで宿をとる。
冷えた旅路後の大浴場はありがたい。久々に足を思い切り伸ばし湯船につかる。

24.2.16

浜松宿より吉田宿へ三十五キロ


出発予定日に雨が降ったこともありしばらくの間友人宅に逗留し、再び東海道を西へのぼり始めたのは一月十九日。
風の強い浜松を出る。



遠州灘と浜名湖のつながるあたりまでくるとそこは三十番目の舞坂宿。
脇本陣跡も宿場情緒漂うつくり。





その昔ここには今切の渡しという舞坂宿と新居宿をつなぐ渡しがあった。今でも常夜灯とともにその跡が残る。

ここからは東海道本線弁天島駅からお隣新居町駅まで電車で渡る。



駅を降り少し歩けば三十一番目の新居宿が見えてくる。
今切の渡しを渡り終えた旅人たちが通過する新居関所跡。東海道中唯一陸と海の関所を兼ねるところ。箱根の関所より規模は大きそうである。


現在は資料館となった紀州藩の御用宿紀伊国屋は新居宿最大規模の旅籠。関所近くに建てられている。



休むことなく進んでいくと景勝地の潮見坂に至る。息の切れるほどの急こう配。後ろを振り返れば遠州灘。こうした風景があってこそ坂をのぼる甲斐がある。

この坂の途中絵描き風のじいさんに会う。

絵描きじい:東海道歩かれとるんか。

三平:はい。おとーさんもですか。

絵描きじい:わしもブラブラやっとるんよ。この坂上がったとこが宿場みたいやから頑張ってえ。

三平:どうもありがとうございます。そいじゃあお気をつけて。

絵描きじい:はいはいどうも。

東海道を歩いているとこういうことがたまに起こる。同じように歩いている人もいれば自転車で旅している人もいる。日本人の旅好きは江戸時代より変わらぬもののようだ。




三十二番目の白須賀宿も過ぎれば遠江と三河の国境、長い長い静岡県の旅も終わり愛知県に入る。




しばらく国道一号線を歩けば三十三番目の二川宿へとやってくる。
本陣跡は巨大な資料館となり、旅籠もきちっと形を残す。二川の人の心意気。

宿場から出て火打坂をのぼりぐんぐん歩き、日も少し傾いてきた頃三十四番目の吉田宿に着いた。
ここは徳川四天王の筆頭酒井忠次、姫路宰相こと池田輝政らが城主を務めた吉田城の城下町。東海道新幹線の停車駅豊橋駅周辺だ。

ホテルをとり疲れた身体をいたわる。
日が落ち冷え込みが一段と強くなる。天気予報によると明日は雪。どうか積雪だけは勘弁願いたい。

23.2.16

掛川宿より浜松宿へ廿八キロ


ここ掛川宿は内助の功で名高い千代の夫山内一豊や、数々の逸話を残す太田道灌の一族太田氏がおさめた掛川城の城下町。

朝食を済ませホテルを出る。少し歩けば広重の浮世絵でも有名な秋葉街道との分岐大池橋へと至る。



原川の松並木を通りしばらく行けば廿七番目の袋井宿に着く。





東海道のちょうど真ん中袋井宿は宿場の入り口に茶屋がある。その名もど真ん中茶屋。
旅の記念にここで一休みしようと考えながらここまで来た。まず外で写真を撮っているってえと

茶屋のおやじ:お休みなさいませ!どうぞどうぞ中へ!

三平:...(苦笑)

もう中からの圧力がとんでもない。休んでいけ茶でも飲めとうるせえ。グイグイとがぶり寄ってくるスタイルが三平はどうも苦手で愛想笑いでその場を立ち去る。

本陣あとに目もくれず、後味悪く宿場を出た。

太田川を渡りしばらく歩けば廿八番目の見附宿に着く。
ヤマハスタジアムにほど近く道の両側にジュビロ磐田の旗がなびく。





磐田駅も過ぎ見えるは信州諏訪湖に源を発する天竜川。
ここを渡ると中野町という場所にきた。実距離で京へ六十里江戸へ六十里の真ん中。ゆえに中野町。

宿数実距離ともに京側へ入りほどなくすれば廿九番目の浜松宿へ到着。



水野忠邦をはじめ歴代城主の多くが江戸幕府の重役に出世した「出世城」浜松城下の宿。

今宵からしばらく、箱根湯本にて救われし友人宅にお世話になる。

22.2.16

藤枝宿より掛川宿へ廿六キロ




大いに体力気力回復しのんびりと藤枝宿を出発。松並木を歩く。
廿三番目の島田宿を過ぎれば

箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川

と歌われた東海道第一の大河大井川へとたどり着く。





度々氾濫を起こした暴れ川にも、今は立派な鉄橋がかかり車も人も難なく往来する。
橋を渡り向こう岸までやってくればもうそこは廿四番目の金谷宿。







この金谷宿から金谷坂を登る。途中受験生がそのご利益を授かろうと訪れる滑らず地蔵なるお地蔵さまがいる。この地蔵尊置かれたのは最近で、なんでも石畳は滑らないからと名付けられたんだとか。雨が降る日は参拝を避けたい。



菊川坂を下り間の宿菊川へ至る。
その由来菊花紋の石が多く出てきたからだそうな。うそくせえがこういう言い伝えをみるもまた旅の楽しみ。



再び現れた上り坂は箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ難所小夜の山中である。斜面には茶畑。道は舗装され何不自由ないがなにぶん急登骨が折れる。



登り終えたところには久延寺。ここには遠州七不思議のひとつ、赤子の鳴き声を発したという夜泣き石がある。ほかに人もおらずそよ風の吹く音しかしない中、うそくさい説明書きを読んでいると

にゃ~

三平:...鳴いた...

にゃ~

三平:おいおい夜でもねえのにほんとうに鳴きやがったぞこの石。気味がわりいねえまったく。

にゃ~

三平:まだ鳴いてるよ。弱ったなあこりゃ。

少し考えてみるってえと赤ん坊にしては鳴き声がどうも変だ。おっかなびっくりしていると石の後ろに白猫が一匹。すました顔して

にゃ~

三平:だましやがったなネコ公。こんちくしょうめ。にゃ~なんて鳴く石があるもんか。そうやっておどろかしておめえ金稼えでんだな。うまくやりやがんねえまったく。

これがうそくせえようで事実だからたまらなかった。そん時の三平の焦り様ったら人様に見せられたもんじゃない。



ネコに一杯食わされ恥ずかしいやら情けないやらとぼとぼ歩けば左手に立派な歌碑。

年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

『新古今和歌集』に載りたるこの歌は漂泊の僧西行法師のもの。歌碑の根元には西行法師の像もさりげなく鎮座する。
ここ小夜の中山は西行以外にもおおくの歌人に詠まれ、その歌碑も日坂宿へ至るこれまた急こう配の西側の坂にいくつか置かれている。

その坂を下りきり日坂バイパスの下をくぐると廿五番目の日坂宿に着く。
萬屋川坂屋と旅籠を見つつ事任八幡宮も過ぎ、逆川に沿うように歩いてゆくと廿六番目の掛川宿へやってきた。

本日はここで打ち止め。ずいぶん見慣れてきた静岡放送を見ながら床に就く。

21.2.16

江尻宿より藤枝宿へ三十二キロ


一日休めば元気も戻る。軽くなった荷も足取りを早める。

東海道本線に沿ってゆくとはや十九番目の府中宿に着いた。ここは家康公の隠居先駿府城のお膝元。げんざいの静岡駅周辺である。

城下にあった二丁町遊郭は東海道の名物の一つ。その一部が江戸へ移され吉原遊郭ができたというから、本家はこちらということか。今そのあたりには静岡県地震防災センターがある。
全ての殿方にはつらい時代が58年から今日までつづいている。



遊郭に思いをはせているあいだに安倍川をこえ、廿番目の鞠子(丸子)宿へやってきた。
安倍川餅も有名だが、ここの名物はとろろ汁。旅が盛んであった江戸の時分にはとろろ汁を出す店が軒を連ねていたそうだが、今その姿を残すは老舗丁子屋のみ。

癪の虫も穏やかだったために歩を緩めず通り過ぎる。今さらながら食えばよかったと後悔のこる。



丁子屋横目に通り抜けた足取りそのままに駿河路の難所宇津の山路に入る。






峠越えにゆくは平安時代からつづくその名も蔦の細道。獣道のような細い道のうえにかなりの急登とくる。それでもやはり足には優しい。伊勢物語の一説が名の起こりらしく時代を感じる。

急登を一気に登ると宇津の谷の稜線にでる。岡部口へ降りふたたび国道一号線に合流。





楽しい峠道も終わり国道からそれると廿一番目の岡部宿が見えてくる。
大旅籠の柏屋は国指定の文化財としていまもきれいに形をのこす。

朝比奈川もこえ雀色時になると蹴球で名高い廿二番目の藤枝宿に着いた。
ようやっと順調な旅ができホテルにゆくと、このホテルがまた粋。ペイチャンネルがペイでない。見放題ときた。
こりゃありがてえとあらかた見通す。
いつの時代も男は男。女郎を買えなくなっただけ。

19.2.16

三島宿より江尻宿へ四十六キロ


きたねえホテルに後ろ髪ひかれることなくそそくさと出発する。
道を間違え気が付けば三島宿からほど近い十二番目の沼津宿を通ることなく過ぎゆく。

しばらく歩けば十三番目の原宿にたどり着く。癪の虫の甘心を満足させ、見えずとも左手に駿河湾の気配を感じつつ進む。



沼津よりつづく長いまっすぐな道。吉原駅まで来るとようやく右へ折れる。






しばらく歩けば十四番目の吉原宿へとやってくる。
「吉原の左富士」のことはすっかり忘れ通り過ぎた。畑に沿って流るる用水路に咲いた花。河津桜であろうか。

弧を描きたる駿河湾のちょうど頂点のあたり、富士川を渡り再び弧に沿うように歩くと十五番目の蒲原宿へ来た。ここまでよく歩いたが今日はまだ目的地までずいぶんとある。一息ついて歩き出す。

田子の浦にうちい出てみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

柿本人麻呂と並び賞される歌聖山部赤人がよみたるはまさしくこの地。吉原駅近くにある田子の浦港ではないらしい。
その日の眺めはまさにそのさま。写真を撮るのも忘れる。
東海道中で富士山が最も優美に映ったこの日の行程。徐々に遠のく姿にもまた得も言われぬ情緒あり。



絶景に疲れもまぎれしばらく歩けば十六番目の油井宿に着いた。本陣跡も立派に残り宿場情緒漂う粋な街並み。
斜陽がちらつきはじめるとともに身体の元気も暮れをむかえる。
どうにかこうにか足を運ぶ。風光明媚で名高い薩埵峠を避け、海沿いの国道一号線をゆく。容赦ない海風に悪態つき、へとへとになりながら十七番目の興津宿に着いたころには日もとうに暮れていた。

足も疲れ寒さもつのるばかりでどうにもならないと興津駅からお隣清水駅まで鉄の籠にて向かう。その速いこと矢のごとし。

十八番目の江尻宿は新清水駅にほど近いところにある。ちびまる子ちゃんの街清水。見て回る時間も体力もない。

三平:あたしゃ疲れたよ。トホホ...

ただベッドに倒れこむ三平であった。

18.2.16

箱根湯本より三島宿へ廿八キロ


帰り荷の重さをはかると十八キロ。その半分近くをテント寝袋が占めていた。冬も深まる一月中旬、野宿はあきらめビジネスホテルの旅となり、じゃらんのアプリをダウンロードする。

すっかり身支度をすませ、軽くなった荷を担いで再び出発するは成人の日の翌日一月十二日早朝。これより電車で湯本を目指す。
眠い目をこすりながらスーツにまぎれもといたにぎやかな温泉街に戻ってきた。いよいよ箱根の峠越え。






難所よろしく坂にもさまざま名がついている。女転し坂など当時の苦労が想像される。









驚いたことに箱根の峠道は江戸の当時の様子が分かるよう石畳が再現され、区間によっては当時のままの姿でのこされている。江戸の時分には行きかう人びとも多かったであろうが、時分が変われば人も変わる。歩いている人などほとんどいない山道の寂しいことこの上ない。



間の宿畑を過ぎ追い込み坂をこえたあたりにある甘酒茶屋。そのむかしから箱根路をゆく旅人の疲れをいやしてきた。
この日の冷え込みは強く、この辺りで小雪がちらつく。ゆっくりしちゃいられないと甘酒ものまず先を急ぐ。





芦ノ湖が見えてくるとのぼりも終わり。その足で箱根の関所へ行けばそこは元箱根。東海道十番目の宿場だ。
関所と資料館の見学もそこそこに、再び歩き出す。



箱根峠をこえ静岡県に入る。こうしてみると神奈川県というのは人が考えるより広い。






西側の坂も石畳が続く。コンクリート舗装の道より石畳なり土なりの道のほうが身体にいい。ひざにもこしにも負担が少ない。

ともあれ小雪もあいまって道中の心細さったらない。イノシシならまだしも、全身白コーディネートで黒の長髪ストレート、頭に白バンダナまきつけた透けて見えるくらい白い肌の江戸時女子になんざ出てこられた日にはたまったもんじゃあない。
そんなことを考えるってえと自然歩みが速くなる。

三島スカイウォークなる大吊橋を右手に見ながら走るように山を下る。西方最後の難所こわめし坂を下ればようやっと三島の市街地が見えてきた。





箱根の峠を越えた最初の宿場三島宿は五十三次の十一番目。東海随一の神社三島大社の座するところ。
じゃらんで予約した最安ホテルに向かう。

三平:きったねえホテルだなあ。まあいいんだいいんだ。旅人が貧乏でホテルが貧乏でちょうどいいや。

さすがに疲れた足腰を風呂で癒し、明日の長旅にそなえ早々と床についた。