24.2.16

浜松宿より吉田宿へ三十五キロ


出発予定日に雨が降ったこともありしばらくの間友人宅に逗留し、再び東海道を西へのぼり始めたのは一月十九日。
風の強い浜松を出る。



遠州灘と浜名湖のつながるあたりまでくるとそこは三十番目の舞坂宿。
脇本陣跡も宿場情緒漂うつくり。





その昔ここには今切の渡しという舞坂宿と新居宿をつなぐ渡しがあった。今でも常夜灯とともにその跡が残る。

ここからは東海道本線弁天島駅からお隣新居町駅まで電車で渡る。



駅を降り少し歩けば三十一番目の新居宿が見えてくる。
今切の渡しを渡り終えた旅人たちが通過する新居関所跡。東海道中唯一陸と海の関所を兼ねるところ。箱根の関所より規模は大きそうである。


現在は資料館となった紀州藩の御用宿紀伊国屋は新居宿最大規模の旅籠。関所近くに建てられている。



休むことなく進んでいくと景勝地の潮見坂に至る。息の切れるほどの急こう配。後ろを振り返れば遠州灘。こうした風景があってこそ坂をのぼる甲斐がある。

この坂の途中絵描き風のじいさんに会う。

絵描きじい:東海道歩かれとるんか。

三平:はい。おとーさんもですか。

絵描きじい:わしもブラブラやっとるんよ。この坂上がったとこが宿場みたいやから頑張ってえ。

三平:どうもありがとうございます。そいじゃあお気をつけて。

絵描きじい:はいはいどうも。

東海道を歩いているとこういうことがたまに起こる。同じように歩いている人もいれば自転車で旅している人もいる。日本人の旅好きは江戸時代より変わらぬもののようだ。




三十二番目の白須賀宿も過ぎれば遠江と三河の国境、長い長い静岡県の旅も終わり愛知県に入る。




しばらく国道一号線を歩けば三十三番目の二川宿へとやってくる。
本陣跡は巨大な資料館となり、旅籠もきちっと形を残す。二川の人の心意気。

宿場から出て火打坂をのぼりぐんぐん歩き、日も少し傾いてきた頃三十四番目の吉田宿に着いた。
ここは徳川四天王の筆頭酒井忠次、姫路宰相こと池田輝政らが城主を務めた吉田城の城下町。東海道新幹線の停車駅豊橋駅周辺だ。

ホテルをとり疲れた身体をいたわる。
日が落ち冷え込みが一段と強くなる。天気予報によると明日は雪。どうか積雪だけは勘弁願いたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿