28.3.15

鰹節の削り方

仕事から帰宅し、疲れた頭でボーっとテレビを見ていたら、誰がだしを一番うまくとれるか選手権、のような番組がやっていた。

何人かの女優達が出演し、それぞれ自慢のだしを披露していた。定番のカツオと昆布のだしから、鶏がら、アゴ(トビウオ)だし、エビだし、するめだしまで、料理自慢だけあり非常に参考になるものであった。

明治生まれの美食家として知られる芸術家、北大路魯山人は誰よりも日本料理、を愛し研究を重ねこだわりをもった人物であった。

著書『だしの取り方』のなかで、カツオだしと昆布だしの取り方を紹介しているのだが、そのこだわり様がすごい。

まずは鰹節の選び方。「カンカンと拍子木かある種の意思を鳴らすみたいな音がするもの。」がいいものだそうで、さらに「本節と亀節ならば、亀節がよい。」のだそうだ。

そしてその削り方はというと、「まず切れ味のよい鉋を持つこと。」が大切。なぜなら、「削った鰹節がまるで雁皮紙のごとく薄く、ガラスのように光沢のあるものでなければならない。こうでないといいだしが出ない。」からなのだとか。

メインの作業であるだしをとる時は、「グラグラッと湯のたぎるところへ、サッと入れた瞬間、十分にだしが出ている。」だから、「いつまでも入れておいて、クタクタ煮るのではろくなだしは出ず、かえって味をそこなう」らしい。

かつおだしの取り方なんかはこれくらいなもので、あとはとにかくよく切れる鉋を持てと書いている。
またいつも切れるようにしておかなければいけないから、「大工とか仕事をする人に研いでもらえばいい。」ともかいている。

最後には外国人の食文化と比較しつつ、鰹節のある日本人は幸せだと述べ、「それなのに鰹節に対する知識もなく、削り方も、削って使う方法も知らないのは、情けないことだ。その上削る道具もない。これはものの間違いで、大いに反省してもらいたいことだ。」と辛辣に切る。普段からだしをとって料理をするようにしている私だが、やっている気になっていただけなんだなと、反省させられた。

化学調味料がないと成立しないような食文化になりつつあるここ日本には、世界に誇る“和食”があり、その基本にだしがある。素材を生かし、ほのかなかおりとたしかな深みで料理の土台となって支える。だしを楽しめる感性を持っていることで、あぁ日本人にうまれてよかったなぁなどと思える。

手間はかかるが、決して難しいわけではない。明日から始められることだ。
日本人である喜びを舌で味わうひと時が、家庭でも増えてくるといい。
魯山人先生には申し訳ないが、出だしは削り節からでも。

19.3.15

童心は真心なり


暖かい陽気に包まれた春晴れの日の通勤途中、お散歩中の親子にすれ違った。

お母さんが「あ、大根さんがいるよ。」と元気いっぱいな娘にいうと、「だいこんさーん!おいしいですかー!」とご挨拶。大根だけでなく、私もほがらかな栄養をもらった。

子供は本当に鋭い。
「なんで○○は△△なの?」「どうして○○するの?」
大体が本質を突くような質問でしばし答えに窮するものもある。子どもたちに教えられることは多い。


今年の大河ドラマ『花燃ゆ』は、吉田松陰の妹、文を中心に幕末の長州藩、松下村塾の志士たち、吉田家、そして吉田松陰を描いている。

かねてから吉田松陰の書物を愛読している私は、毎週松陰の言葉を楽しみに見ているのだが、先日見た回で発せられた言葉にハッとさせられた。

吉田稔麿が江戸へ学びに行きたいと申し出たとき、師松陰は「なぜ学びたい。学んでどうする。君の志はなんだ。」と問う。


お金を稼ぐ、本を読む、外国語を学ぶ、海外に行く、資格をとる、、、それは何のためになぜするのか。

なぜお金が必要なのか、そのお金をどうしたいのか。

何のために本を読むのか。

なぜ海外に行くのか、行ってどうしたいのか。

ひいては、どう生きたいのか。

忙しさにかまけて思考停止に陥っていないか。

吉田松陰と松下村塾の面々にそのことを改めて考えさせられた。


普段の暮らし、普段の思考に“なぜ”を添える。
皆が、幼いころそうしていたように。

6.3.15

梅花返り咲き

三月三日はひな祭り。女の子の健やかな成長を願い、家族みんなでちらし寿司を食べる。お雛さまを飾り付け、桃の花を添える。桃の節句の和やかな風景だ。

上に向かって伸びる枝に咲く可愛らしい“桃色”の花は、春の暖かさに彩りを加える、まさに、元気に育つ女の子をたたえるにふさわしい。

桃もいいのだが、私は大の梅好き。
寒さに耐え、細く折れ曲がった枝にポツリと咲く。ほのかな香りを漂わせ、主張のしない「凛」とした佇まいには、えもいわれぬ慎ましやかな美を感じる。

「耐雪梅花麗」“雪に耐えて梅花麗し”

かの西郷隆盛が読んだ漢詩である。この言葉とともに世界に羽ばたいた一人の男が、今春、日本に帰ってきた。

広島カープの黒田博樹投手。昨シーズン、名門ヤンキースでただ一人先発ローテーションを守った名手のトレーニングシャツには、この漢詩が刻まれている。

日本では広島一筋、優勝できずともじっと耐え、愛する広島とともに生きた。そして、見事にアメリカで凛としたいぶし銀の花を咲かせた。

そんな男、黒田は40歳になり新天地に愛する広島を選んだ。復帰会見でみせた姿には、野球人生を締めくくる覚悟を感じた。

今広島には優勝を狙えるだけの戦力が整っている。今シーズンは、広島カープにとっても、黒田にとっても、悲願達成のチャンスだ。

広島が春を迎える頃、雪の冷たさに耐え忍んだ梅の花は、美しく返り咲くだろう。