26.2.15

2人のバンクス

フットボールフリークである私が“バンクス”と聞いて、パッと頭に思い浮かべる人物は、もちろんゴードン・バンクスである。

“Bank of England”(直訳はイングランド銀行、彼の名前をもじってバンクスに任せておけば絶対安心という意味合い)とよばれたこのシェフィールド出身のGKは、1966年に開催されたイングランドW杯において、準決勝で対戦したポルトガルの“黒豹”エウゼビオに得点を許すまで、実に443分間無失点を続け、母国を悲願のW杯優勝へと導いた立役者の一人である。

続く1970年メキシコW杯にも出場し、ブラジル戦で、誰もが一度は見たことがあるあのスーパーセーブを披露した。(シュートを放ったのはペレ)

99年には、20世紀最優秀GKで2位に選出された、言わずと知れた世界的名手である。(ちなみに1位は“黒蜘蛛”レフ・ヤシン)

デイヴィッド・シーマン以降優秀なGKが出てこない母国を、78歳になるかつての英雄はどう見ているのだろうか。


と、こうつらつらととめどなくバンクスの話をしてしまったが、今回の主役は“もう一人のバンクス”である。

その名を“サー・ジョゼフ・バンクス”

16世紀から17世紀にかけてかつやくした、こちらもゴードンと同じく英国人の、博学者、植物学者、王立協会会長であり、科学の庇護者としても知られ、自然史の父ともいうべきすごい人。

“もう一人のバンクス”など失礼千万、怒られてしまう。

彼の功績の一つに、『バンクス花譜集』というものがある。
これは、ジェームズ・クックの第一回太平洋航海に科学班のリーダーとして同行した際に、収集した標本と画家に現地で描かせたドローイングをもとに制作されたもので、ポリネシア、ニュージーランドやオーストラリア、ジャワなどの植物を紹介した豪華植物図譜である。

先日、このバンクス花譜集の展覧会を観に行ってきた。

当時の世界地図や、行った先々で触れ合った民族たちの調度品、なにより、その絵の細密さに驚かされた。描いたのは、画家としてこの一団に参加していたシドニー・パーキンソン。バンクスの名が由来になっているオーストラリア原産の花「バンクシア」も鮮やかに、精細に描かれていた。

当時の航海はまさに命がけ。実際に、パーキンソンを含む31人もの乗組員がジャワから喜望峰への旅路で、マラリア等により命を落としている。グレートバリアリーフでは座礁もしている。(西側風に言えば)新たな土地への期待と不安を抱きつつ、いつまでも続く水平線を眺めることからくる精神的疲労も相当なものだっただろう。

現代は、20時間もあれば世界中大体全ての地域にいける。ほぼすべての地が(また西側風に言えば)発見されたし、ほとんどの植物はインターネットで調べれば見ることができる。(これまた西側風に言えば)新たな地の人々とも、パソコンひとつで顔を見合わせて会話することができるようになった。

しかし現代でも航海は続いている。荒れ狂う情報の大洋に乗り出し、波にのまれぬよう、座礁せぬよう、時には嵐をうまく避け、時には風にうまく乗り、船を進める航海技術が必要となった。

少しでも船に穴があくと、否応なしに水は侵入し、攻め立ててくる。沈没はまぬがれない。

こんな時、ゴードン・バンクスがいてくれれば安心なのだが。彼ならいかなる攻撃も食い止めてくれるから。

そうはいかない現実を見つめ、また大洋に向け船を漕ぎ出す。

18.2.15

お月様と中国人


「女郎の誠と四角い卵と晦日の月」

これが何を指しているかわかるだろうか。
落語の枕で“この世にありえないこと”の例えである。新暦になじんだ私たちであるから“晦日の月”?な人も多いのではないだろうか。

今日は旧暦の大晦日。新月である。
歌川広重作『名所江戸百景』内、『王子装束ゑの木 大晦日の狐火』でも、新月の張りつめた暗闇に狐火が映える。

ここでいう旧暦とは天保暦である。太陰太陽暦であるから、月の満ち欠けが基準であり、新月から次の新月までが1ヶ月(一朔望月)となる。

つまり、毎月一日(朔日)は新月、八日に上弦の月、十五日に満月が来て、二三日に下弦の月、三十日は新月となるわけだ。

しかしこれでは一ヶ月約二九.五日にしかならず、このまま一年十二か月としていると、どんどん月がずれてしまう。四季のある土地柄であり不都合が多いため「閏月」を入れ、さらに太陽の動きに合わせて作られた二十四節気七十二候を取り入れ、季節感を生かした。

立春、春分、夏至、秋分、冬至などが二十四節気の中でもよく聞くものであろう。
旧暦日付、二十四節気七十二候を表示してくれるアプリがあるので、現代でも親しむことは無理でもない。

いまも旧暦の行事を大切にし、それをもとにお祭りがある国に、日本でもおなじみ中国がある。
この時期になると、どこの局のワイドショーでも取り上げられる、旧正月を利用して観光、買い物に来る中国人観光客の団体。

秋葉原で炊飯器を五つも六つも買ったり、薬局で日本の化粧品や薬品を大量に買っていく人がたくさんいるから、毎回驚かされる。
日本観光局(JNTO)によると、2014年に日本を訪れた外国人観光客の数は過去最多1340万人で、なかでも中国からの観光客は前年比83%強の増加だったそうだ。
訪日外国人観光客の国別内訳を見てみると、台湾が1位であった。中国と同じく、今も旧暦に親しみ旧正月を祝う国だ。

尖閣諸島問題、偽製品の販売、環境汚染...何かと嫌な報道ばかり先行してしまう中国だが、旧暦に親しみ季節を楽しむ、そんな中国人の生活を見、今一度旧暦にふれてみてはいかがだろうか。

12.2.15

勝者は善か



「殺人は許されない、犯した者は罰せられる。鼓笛をならして大勢を殺す場合を除いて。」
ヴォルテール


フランスの哲学者で啓蒙主義を代表する人物、ヴォルテールの言葉である。

最近はもっぱら本ばかり読んでいる私だが、先日久しぶりに映画でも見ようと思い、ふらりTSUTAYAに立ち寄った。
お目当ては黒沢明監督の『七人の侍』であったが、ついでに何かもう一本、と目に入ってきた『ザ・アクト・オブ・キリング』という作品も借りてきた。

冒頭で紹介した文言が字幕で映し出され静かに始まるこの作品は、インドネシアで起きた9月30日事件において大量虐殺を行った「プレマン」に、自身が行った殺人行為を自由に再現した映画を自分たち自身で作成してくれと依頼、その制作の様子をインタビューを交え、撮影した映画である。

1965年スハルトのクーデターによりスカルノが失脚、その後共産主義者一掃と称し、西側諸国の支援のもとに100万人の“共産主義者”が殺された。
その殺人行為を実際に行ったのは「プレマン」と呼ばれるやくざ、民兵集団であった。

当時のことをよく知る人物が日本にいる。ほかでもないスカルノ元大統領の第三夫人である、デヴィ夫人ことデヴィ・スカルノさんである。

調べてみると、2012年にこの映画の特別試写会にて行われたトークショーで、デヴィ夫人が当時のこと、事件について語っている全文が掲載されていた。

デヴィ夫人によると、
“スカルノ大統領は中立国として、アジアやアフリカ、ラテンアメリカの勢力を結集して第三勢力というものをつくろうと頑張っていた為に、ホワイトハウスから大変睨まれましておりました。太平洋にある国々でアメリカの基地を拒絶したのはスカルノ大統領だけです。それらのことがありまして、ペンタゴン(アメリカの国防総省)からスカルノ大統領は憎まれておりました。アメリカを敵に回すということはどういうことかというのは、皆さま私が説明しなくてもお分かりになっていただけるかと思います。”

当時、世界はアメリカvsロシアという構図で冷戦時代の真っただ中。
スカルノ元大統領自身が共産主義者ではなかったとしても、インドネシア共産党を支持基盤に持っている人物が勢力拡大をもくろんでいれば、自称“世界の警察”は黙っていたはずがない。
さらに、

“その当時の日本はスハルト将軍を支援しています。佐藤(栄作)首相の時代だったのですが、佐藤首相はご自分のポケットマネーを600万円、その当時の斉藤鎮男大使に渡して、その暴徒たち、殺戮を繰り返していた人に対して資金を与えているんですね。そういう方が後にノーベル平和賞を受けた、ということに、私は大変な憤慨をしております。”


これを読んで思い浮かぶのは、今現在もシリアに空爆をしかけ、テロと無関係の市民をも殺している大国アメリカの大統領、バラク・オバマ氏である。
彼もまた、2009年にノーベル平和賞を受賞している。
世界は勝者のためのものなのか。

作中で一人の殺人犯に、インタビュアーが「あなたのしたことはジュネーブ条約で戦争犯罪としてある。あなたが犯したことは重大な犯罪ですよ。」と尋ねるシーンがある。
すると彼は、「ジュネーブ条約など従わない。戦争犯罪は勝者が勝手に決めたこと、国際法も勝者が勝手に設けたことだ。そして、俺は勝者である。だから俺の解釈に従う。」と。

勝者が全て正しい。勝者が善である。
これは絶対に違う。有無を言わせず力でねじ伏せるなどということがあってはならない。

そしてそうした制圧方法をとる超大国アメリカに、脅されるがままより積極的に“アメリカの敵”を圧する戦いに参加する方向に、日本は舵をきってよいのか。

鼓笛を鳴らす立場には、なってはならない。