29.4.15

ダン・ブラウンのメッセージ


“QUIS CUSTDIET IPSOS CUSTDIES” “誰が番人を監視するのか”


ラテン語で書かれたこの詩は、
“健全なる精神は健全なる身体に宿る” 
“ORANDUM EST, UT SIT MENS SANA IN CORPORE SANO"
という誰もが一度は耳にしたことのあるこの一節で有名な、「ユウェナリスの風刺詩」のまた別の一節。どういうことか。

ダン・ブラウン氏の処女作『パズル・パレス』(英題『Digital Fortress』)を読み終えた。
私は予てからダン・ブラウン氏の大ファンであり著作はすべて読んできた。
彼の作品の特徴は、息をつかせぬスピーディーな展開と、いくつもの場面に張られた伏線が徐々につながっていく予想できないスリリングな展開。
そして何よりもダン・ブラウンファンを興奮させ、満足させるのものは、その莫大な量の専門知識と教養。ページをめくるごとに描かれている情報は恐ろしく緻密で細部まで知識がいきわたっている。

彼は元々英語教師であり語学に通じている。父は数学者で母は宗教音楽家、そして妻は美術史研究者であり画家、と彼の作品に描かれる情報がこの3者からの影響を受けていることは言うまでもなく垣間見える。

また、世の中で起きている多くの人の目には見えない様に隠されている、“真実”を描くことも彼の作品の特徴の一つだ。
今回読んだ処女作『パズル・パレス』ではNSA(国家安全保障局)を取り上げている。『パズル・パレス』が出版されたのは1998年で、NSA主導で構築されているとされる全世界的通信傍受システム“ECHELON"(エシュロン)が公になったのは、2001年のことであった。3年も早く公然の秘密を指摘している。
他にも『デセプション・ポイント』(英題『Deception Point』)ではアメリカ大統領選の内幕や、NASA(米国航空宇宙局)、NRO(国家偵察局)の実体を暴き、『天使と悪魔』では、反物質を、最新作の『インフェルノ』(英題『Inferno』)(個人的には、著作の中で一番のお気に入り)では、人口爆発やウイルス兵器(エボラ出血熱との関係性は否定できない)、そしてここでは“正義”とは何か、も問われている。

冒頭で紹介した“誰が番人を監視するのか”という言葉は、『パズル・パレス』に登場する。
NSAが暗号解読のために開発したスーパーコンピューター「トランスレーター」の無制限使用に反対し国外退去処分を受けた、天才プログラマーで元NSA局員の日本人男性、エンセイ・タンカド(なぜか日本ではあまり見かけない名前)の大事にしていた言葉。
彼は、全国民に対するプライバシーの侵害や国家権力の暴走をやめさせるために、反対し一芝居打つ。
もちろん、この“誰が番人の監視をするのか”という一節が意味するところは明確で、テロリズムから国家を守る番人としてふるまうNSAは、確かに安全をもたらす存在なのかもしれないけれど、じゃあその番人が人が見ていないところで暴走することはないのか、NSAは番人という名目で勝手なことをすることはないのか、あるのなら、誰がこの巨大な国家権力を監視でき、戒められるのか、ということを暗に問うている。

基本に立ち戻りたい。国民主権を標榜しているこの国において、番人を監視しなければいけないのは、私たち国民一人一人である。
巨大な権力を、しっかり仕事をしているか、暴走していないか、チェックするのは国民の役割なのである。暴走してからではもう遅い。

この国に重ね合わせながら再考する。

“誰が番人を監視するのか”

エンセイ・タンカドのメッセージは重い。

21.4.15

ハロウィーンとイースターと大騒ぎ

近年ハロウィーンを祝う人々が日本でも増えている。
思いおもいの仮装をし、ハロウィーンパーティーなる催しに参加したり、仲間内で集まったりするらしいのだ。
しかしその楽しみ方が問題で、昨年の渋谷のスクランブル交差点では、信号が青になるたびに、道路中央でわけもなくハイタッチする、仮装した人々で溢れた。
あのサッカーワールドカップの日本戦の時より多かったとの話もある。

ハロウィーンを祝うことについて私個人は、賛成派である。
私自身小さいころから欧米文化への漠然とした憧れがあり、小学生のころからハロウィーンを知っていたし、少しでもハロウィーンっぽい気分にしたくて、自分なりに駄菓子を買って一人でハロウィーンを満喫していた。
小学校卒業記念にもらった『ジュニア・アンカー英和辞典』の“HOLIDAY 英米の祝祭日”というページを眺めるのが好きで、「今アメリカではこんなに楽しそうなお祭りの最中なのかぁ、いいなぁ。」などといつも思っていた。
こんな人物であるから、もちろんハロウィーンだけでなく、クリスマス、そしてイースターも大好きだ。

今、東京ディズニーリゾートは春のイベント、「ディズニー・イースター」が開催中だ。
今年から東京ディズニーシーでもイースターのイベントが始まり、リゾート全体がイースター一色になっている。
パークのところどころに、イースターエッグやイースターバニーが飾り付けられ、華やかで可愛らしい春の訪れを感じさせる。

そもそもイースターがどんなお祭りなのかご存じだろうか。
イースターとは別名復活祭と呼ばれ、イエスキリストの復活を祝うキリスト教のお祭りであり、キリスト教圏では、クリスマスとならんでとても大切な行事とされている。
太陰暦で決められたため、現在使われている太陽暦では移動祝日でとなり、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、と決められている。ちなみに今年は4月5日だった。
飾り付けるイースターエッグは、動かない卵から生命が生まれるということで、死と生のシンボルとして、イースターバニーは、ウサギは子だくさんであることから、豊穣のシンボルとして、命が芽吹く春分の象徴とされ、イースターには欠かせない。
子どもたちはイースターエッグハントをして楽しんだり、家族やご近所同士で料理を持ち合い食事をして過ごすのがイースターの定番。

ハロウィーンが定着し始めた昨今、イースターも流行り始めるのではないかと私は常々思っている。
欧米のスーパーマーケットでは、バレンタインデーのシーズンが終わるとイースター商戦が始まり、イースターエッグやイースターバニーを模したチョコレートが棚に並ぶのだとか。
ハロウィーンもそうだが、製菓メーカーとしてはありがたいイベントであるだろうし、鶏も忙しくなるだろう。
移動祝日であることから、すこしは太陰暦にも興味を持つ人が増えるだろう。(もちろん日本の祝日にも旧暦のものがあるが、“辺境人”であるからか、自国のものには見向きもしない。)

こうした楽しいお祭りは、まだまだ世界中にたくさんある。
私自身キリスト教ではないけれど、これからもイースター、ハロウィーン、クリスマスをはじめ、ほかのお祭りも、由来を知り、理解を深め、ひそかに楽しむだろう。

色々な海外の文化が入ってくるのはいいことだ。そうすることで、ほかの地域への理解が進み、逆説的だが、日本人たる自分のアイデンティティの確立にも繋がる。
もちろん、騒ぎ合う口実として使われるのは甚だ心外であるし、全くもって共感できない。もっと素直にハロウィーンやイースターが広まってほしい。
おかしな恰好をして、人に迷惑をかけながらハイタッチし合う姿を見、英和辞典を羨望のまなざしで眺めていた元少年は、こんな複雑な思いに駆られるのだった。

13.4.15

志ん生と黄金餅〜落語のすゝめ〜

三代目、三代目とよく耳にし、なんの三代目かと思っていたら、三代目J Soul Brothersのことなんだとか。一代目二代目を知らない私はなんのことだからさっぱり分からずにいた。
襲名披露公演なんかもやるのだろうか。


落語が好きな私にとって、三代目と言われれば、先日亡くなった桂米朝であり、三遊亭金馬であり、古今亭志ん朝なのである。

このクラスの名人の噺はそれぞれに味わい深く、本当におもしろい。
そんな名人達のなかでも、ひときは人々を魅了し、落語のひとつの形を作った落語家に、五代目古今亭志ん生がいる。

昭和を代表する落語界の巨匠で、八代目桂文楽と双璧をなし、人気を二分した。
「一丁入り」の出囃子で登場し、飄々とした天衣無縫な語り口で人気を博した名人であり、十代目金原亭馬生と古今亭志ん朝の実の父親である。

五代目志ん生の得意とした演目に「黄金餅」というものがある。

お金を貯めるだけためて、使わずに貧乏長屋に住んでいた西念という和尚が、ある日患って動けなくなる。
隣に住んでいた金兵衛が見舞いに行くと、西念はあんころ餅が食べたいと言う。
買って渡すと、その餅の中にお金を詰め込み飲み込み始める。
全部の餅を食べ終わると、苦しみだして死んでしまう。
これを見ていた金兵衛は、どうにかこの金を自分のものにしようと思い、同じ長屋の連中にはウソをつき、自分の菩提寺である、麻布絶口釜無村の木蓮寺まで長屋の連中とともに仏さんをその日の夜のうちに運んでいく。
貧乏寺の木蓮寺の和尚に変なお経を上げてもらい、焼き場の切手を買って焼き場へ向かう。
焼き場に着き、火葬を頼むも真夜中だから翌朝にならないと火葬できないと火夫に言われるが、どうしても今焼けと金兵衛は譲らず、夜のうちに焼いてもらう。
焼き終わり、西念の遺言なんだ、だとかウソをつき遺体のところに金を見つけに行くと、金兵衛の思惑通り、腹のあたりから沢山の金が出てきた。
金兵衛はこの金を元手に、目黒で餅屋を開き大繁盛した。江戸の名物「黄金餅」の由来の一種、と噺はおわる。

このように、落語には一見ダーティな噺が数多くある。
しかし、登場人物の話し方や間の取り方で、なんともバカらしくて、人間味溢れる魅力的な噺になってしまう。
この意味でも、古今亭志ん生の人間味あるれるバカらしさの表現は、特徴的で群を抜いてうまかった。

その技術について、息子の古今亭志ん朝も「真似しようとして出来るものではない」と述べている。

現在、古今亭志ん生の名跡はこの五代目の没後空席となっている。
五代目の活躍があり落語界最高峰とも言うべき名跡になった古今亭志ん生を襲名するのは、相当な覚悟のいることだとは思うが、新たな名人の誕生を願ってやまない。

もちろん、いつか六代目を襲名する落語家にはファッション的な人気ではなく、本当の日本人の豊かな心をもつ人柄と、確かな技術で人気を博してほしいのもだ。








五代目古今亭志ん生 黄金餅
youtube動画のリンクです。音声のみです。気になった方はこちらからどうぞ。