22.9.15

学びについて。


みやぎ:なんか、影響を受けやすいって悪い言葉として使われがちだけど、オレはすごくいい言葉なんじゃないかなって思ってて。「影響を受ける」って行動が伴っているわけだし。例えばなにか影響を受けて始めるのって、最初の頃はすごくダサいけど...なんて言ったらいいんだろう。

ぺぺ:分かる分かる。それこそ、格好つけて「こんなの」ってやって何もしない人よりもは、影響を受けてそれなりに行動して何かやっている人の方が、ずっとかっこいいってことだよね。

みやぎ:そうそう。

ぺぺ:基本的に“学び”って、諸説ある中の語源の一つの説の“まねぶ”っていうところだと思うんだよね。動物を見ていれば明らかじゃない。お母さんの動きとか、お父さんの動きを見て、あ、こうやって獲物を獲るんだなとか、こうやって自分たちは生きていけばいいんだなとか。っていうことは、影響を受けるって、“まねぶ”に近いことではあるよね。影響をうけるって、その影響を受けた人もしくはものの、まねをするっていうことだと思うんだよね。たぶん学びの神髄ってそこにあるんじゃないかな。

みやぎ:あー。うんうん。確かに。

ぺぺ:そんな気がする。

みやぎ:有名な言葉で、「守破離」っていう言葉があって。それが物事が上達するために一番大事なことって言われてて、「守」は師匠とか尊敬する人の教えを“守る”。守ってひたすらそれをまねする。「破」はその教えを自分の中に完全に取り込んで、「じゃあこういうやり方もあるよね」っていう、違うやり方をやってみる。それも出来るようになってきたら、最後は師匠の教えとかから“離れて”自分のやり方でやってみる。っていうのが、昔から上達するためには一番必要な流れらしくて。

ぺぺ:へぇー。なるほどなるほど。

みやぎ:結局、最初は“守る”こと、まねすることが一番大事だっていうのはよく言われてるよね。

ぺぺ:日本の“学ぶ”っていうことに対する人々の考え方に由来するところだよね。基本的に“学ぶ”っていうのは師弟関係。

みやぎ:まあね。そうだね。

ぺぺ:そこで大事なのって、弟子の質なんだよね。だって、道端の草からも学ぶことはできるし。で、師匠は最初何も教えてくれない。そこで弟子は勝手に考えるわけだよね。「もしかしたら師匠はこんなことを自分にさせようとしているんじゃないか」とかね。風呂沸かしたり、掃除したりしながらさ。だから、師弟関係って受け身のように見えて実は全然受け身じゃないんだよね。

みやぎ:うんうん。

ぺぺ:で、最初は何も教えてくれないから、師匠の姿をまねする所からしか入れないし。

みやぎ:うん。今思ったけど、日本は小学校から高校までずっと“まねすること”ばっかりを学んじゃってて、なんかまねする期間が長すぎるような気がオレはするんだよね。もうちょっと早めに次のステージに行かないと。世界はもうちょっと早いような気がする。

ぺぺ:日本人が考える「勉強」って“義務教育的な勉強”なんだよね。先生の言うことを「ハイッ」って聞いて、テストのために勉強してっていうのが、“義務教育的な勉強”だよね。でも勉強って本来そうじゃない気もするんだよね。生きてること自体が勉強みたいなことも言えるし。

みやぎ:うんうん。

ぺぺ:それでさ、やっぱり矛盾してるって。社会に出た瞬間に、「あなたの考えはなんですか」って言われたって、答えられるわけないんだって。急にボトムアップっていうのが騒がれ始めて、「下の意見を大切にしましょう」「意見をどんどん出しましょう」って言われても、学校のシステムがトップダウンなんだから。それを12年(小学1年生から高校3年生まで)だよ。そのあといきなり「あなたの意見をどうぞお願いします」「なにかいいアイディアはありますか」って言われたって、出来るわけないって。

みやぎ:そうだね。

ぺぺ:そもそもそこが間違っていると思う。「個性が欲しい」とか「意見をどんどん出して」とか。それだったらまず学校のシステムを変えないとってオレは思う。学校教育を変えるのか、社会の仕組みを変えるのか。

みやぎ:うんうん。

ぺぺ:日本って不思議なのは、一方の方がいいっていう風になってくるともう一方は“悪”になっちゃうんだよね。だからボトムアップが出てくると、あたかもトップダウンは悪いんだ、古い体質なんだっていうような言われ方をするけど、全然そんなことはなくて、トップダウンでもいいところはいいしさ。それをうまくできないかなって思うよね。

みやぎ:そうだね。

ぺぺ:オランダとかデンマークみたいに、徹底的に子供に考えさせるっていう教育もありだと思うし。

みやぎ:スウェーデンとかもそうだね。

ぺぺ:そうそう。あのー、オレもたまに「サッカーのコーチやればいいじゃん」って言われたりするんだよね。一回やってたっていうのもあるし。でもね、「教える」「教え込む」っていう感覚があんまりないんだよね。

みやぎ:あー。うんうん。

ぺぺ:大人がすることって、見守って導くくらいなことじゃないかなって感じなんだよね。そもそもさ、“Coach”て“馬車”じゃん。馬車って人を運んだり導くものだから、もしコーチなんであれば選手とか子供たちを導く立場であるべきだよね。

みやぎ:そっか。なるほどね。

ぺぺ:それに、「教育」っていうのは明治時代に英語の“Education”の翻訳語として使われるようになったわけだけど、その“Education”の語源はラテン語の“Educo”で、その意味は“引き出す”って意味なんだよね。この二つの語源を考えても、オレはやっぱり導くような形が本来のあり方なような気がする。

みやぎ:そうだね。

ぺぺ:もちろん、本当に何も知らない子どもには、ルールとか枠組みっていうのは教えてあげないといけないけど。大まかな基本は教えてあげて、それ以外のところはね。

みやぎ:分かる分かる。絶対そうだね。

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