3.3.16

亀山宿より水口宿へ三十三キロ


今日の厳しい旅路に備えしっかり朝食をとり宿を出る。



これより野村一里塚、大岡寺畷、小萬のもたれ松を過ぎほどなく四十七番目の関宿に着く。





古代三関の一つ鈴鹿関が置かれた古くからの交通の要所。その姿をたいへんよく残していて、現在でも多くの観光客が訪れる東海道きっての宿場町。
江戸方から京方までずっとこの街並みが続くから、関宿だけを目当てに来ても十分に楽しい。

関宿を出て鈴鹿川に沿って上流へとのぼる。筆捨山を右手に国道から旧道に入りしばらく歩けば四十八番目の坂下宿にやってくる。

関宿とはうってかわって非常に寂しい宿場跡。山間にあり電車の線路をひく際に勾配が急でひけなかったたため、駅も設けられず急速に衰退したそうな。ここにもまた近代日本の発展の跡が見られるということか。

ここを過ぎれば伊賀と並ぶ忍者の里甲賀市に入る。そして向かうは東海道三大難所最後の一つ鈴鹿峠。




舗装道路の脇に突如現れる鈴鹿峠へ至る山道。気を付けていないと見逃すほどわかりずらい。
古いつくりの城の階段と同じかそれ以上の急こう配を登るとすっかり山の中へ入る。






昨晩降った雪がまだ残る不安定な道は滑りやすく何度か肝を冷やす。登りであればまだいいが下りとなるとよほど慎重に歩かなければ、そのまま滑り落ちそうなほどであった。





鈴鹿大明神と呼ばれる片山神社を過ぎると雪もより深まる。この日すでに足跡が残っていたから誰かが先にこの峠を越えたのだろう。エラい人もいるもんだ。



久々の山道に足取りも軽く歩いていると気が付けば鈴鹿峠に着いた。
箱根峠もそうだったがこのご時世、想像しているよりも歩いて峠を越えることは難しいことではないようだ。きちんと石畳や階段が作られ歩きやすいようになっている。
ここからは近江国滋賀県。



滋賀県に入ったと思ったらこの積雪。山脈を隔てるとこれほど積雪量が違うものか。わだちを通り万人講常夜灯を過ぎ国道に出る。

これより山中一里塚、新名神高速道路、蟹坂古戦場跡を過ぎれば街道橋に至る。
鈴鹿馬子唄に

坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る

と詠われるように、広重は雨の街道橋を渡る大名行列を浮世絵に描いた。
ここを渡れば四十九番目の土山宿に着く。



道の駅あいの土山が宿場の入り口に作られていることもあり人の往来はある程度ある。
道の駅にて冷えた身体を暖め、しばしの休憩ののち再出発。
この宿場いたるところに旧旅籠跡の石碑が立っていて、当時の姿を想像しながら歩くことができる。本陣跡も風情漂う。

ここを出て地安禅寺、大野市場一里塚跡を過ぎ幕末の俳人三好赤甫の旧跡を眺め、岩神社を過ぎれば五十番目の水口宿に着く。

ここで一晩旅の疲れを癒す。
そしてこの水口で泊まった宿がこの旅において一番素敵な宿だった。
その名も「ホテル古城」。きれいなのはもちろんだが、はたらく人が素晴らしい。家族で営んでいて忙しいときは小学生の息子さんもお母さんの手伝いでお客さんの案内をしてくれる。
しっかりした子にはしっかりした親がいるもので、そのお母さんも非常に愛想がよく丁寧であった。

これだけで峠道の疲れも忘れるほど、気持ちよく床に就いた。

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