15.2.16

日本橋より神奈川宿へ廿九キロ


まだ正月陽気冷めやらぬ松の内は一月六日。古くは江戸時代からの日本の中心、東京日本橋を出発するのは埼玉の片田舎から出てきた一平一平一平(ひとひらかずのたいらいっぺい。通称三平)と名のるのらくら者。今のご時世新幹線で行けば二時間半ほどで着く花の都京都への道のりを、歩いて旅すると息巻く。この通り頭はバカだが身体は丈夫。そそくさと前の晩から身支度をととのえる。この冬は暖冬と聞いたが幸いと、野宿に備えテント寝袋まで担ぎ込む。あくる昼から京への旅のはじまりはじまり。


昼飯時の日本橋、財布片手に飯屋へ向かうオフィスレディや旗持ち先頭に日本橋の歴史を観て歩く老人の集いで周りは大賑わい。そんなことにはかまう暇なくえっちらおっちら西へ向かって歩き始める。



歩いてゆくは東海道。その大部分が国道一号線になりかわり京までつづく。その昔東海道は江戸時代の五街道中でいち早く整備された日本一の街道。東海道五十三次と名高い五十三の宿場も浮世絵などで今日でもその姿を知ることができる。

高級ブランド店が軒を連ねる銀座を突っ切り、東京タワーを右手に見ながら浜松町、田町を抜け高輪を過ぎれば早くも一つ目の宿品川に着いた。なんてことないただの都会。這ったって行けるところじゃあ休憩なんぞしてられない。

そういや今日は朝から何も食べずじまい。腹は減るが道のりのほうが気になる。出発時間が遅かったのか日が傾くのがずいぶんはやい。もう少し行ってから飯屋に入ろう。



そんなことを考えながら環状八号線をこえ、江戸の時分には六郷川と呼ばれた多摩川をわたり神奈川県に入った。
多摩川をわたってすぐにある二つ目の宿川崎を過ぎると、時刻は16:00をまわった頃。日もその姿を西に落としはじめる。暖冬といえどもこうなってくるとどうにも寒い。上着を着、重い荷物を担ぎなおして先を急ぐ。

ようやっと三つ目の宿神奈川に着いた頃には日もとっぷり暮れた。寝る場所を確保しなくちゃいけない。せっかくテントや寝袋を持ってきたんだから野宿で済まそうと場所を探す。公園は物騒だから寺の敷地内でも貸してもらおうと近くの寺を尋ねてみる。

(インターホンを押す)ピンポーン。
住職:はい。
三平:どうも夜分遅くにあいすみませんが、ひとつお尋ねしたいことがございます。
住職:なんでしょう。
三平:わたくし東京から旅をしておりまして、今夜は野宿をしようと思っております。つきましてはそちら様の敷地内でどうかひとつテントを張らせていただけないでしょうか。
住職:うちは無理ですねえ。
三平:そうですか。どうも失礼いたします。

三平:...けっ。しみったれ坊主め。へるもんじゃねえんだから一晩くらいいいじゃねえかまったく。税金も払わねえくせして困ったヤツ助けもしねえでやんの。ちくしょう。悔しいからもう一軒きいてやろう。

(インターホンを押す)ピンポーン。
住職:はい。
三平:どうも夜分遅くにあいすみません。
住職:なんでしょうか。
三平:わたくし京都まで旅をしておりまして、今夜は野宿をしようと思っております。つきましてはそちら様の敷地内をどこでもよろしいんで一晩お貸し願えませんか。
住職:東海道を旅してるのかね。
三平:ええ、さようでございます。
住職:ずいぶんとここまで時間がかかったね。うん。そいじゃね、ちょっと待ってよ。おい、お母さん。
おかみさん:はい。
住職:地蔵堂は空いてるかね。
おかみさん:空いてますよ。
住職:そいじゃあ、地蔵堂を使って。外じゃあ寒いだろうから、ね。案内しますから。
三平:たいへんどうもありがとうございます。お言葉に甘えて、使わせていただきます。

三平:...いやーありがてえありがてえ。やっぱり坊さんてのは親切なもんだなあ。坊主大明神。足向けて寝られねえや。



愛想のいい住職とおかみさんに缶コーヒーと缶紅茶までいただいて、どうにかたどり着いたほのかに暖かい部屋で一晩過ごす。
お地蔵さんに手を合わせ、飯は食いそびれたが肩や脚の痛みとともに床につく。次に目を開けた時には外はもうすっかり明るくなっていた。寺の朝は早い。

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